「偏奇館漫忘録」

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youro2001-08-06

8月6日は原爆記念日である。記念式典の小泉首相のスピーチは棒読み口調であった、ちょっと失望した。戦争を知らない世代が増え原爆の悲惨な記憶も年とともに風化しているという若い世代が悩みながら撮り終えた映像表現をテレビでやっていた。わかものたちの頭上に突然降り注ぐ黒い雨、(実は墨汁を降らせたのだが)そのシチュエーション自体はなかなかに的を得ているように感じたのだが.....加藤登紀子が言っているように、傘が出て来たところから表現の無理を感じた。どういったらいいのか、実態を知ってるものが誰もいない(描くものも見るものもディテールを知らないのに)史実を正確に検証することなく粗製濫造された時代劇を見るような。たとえば髷(マゲ)一つとっても史実は十人十色、千差万別であろうと思われるのに映画やテレビで出てくるマゲはみんなおんなじ形、生活感もなくみんないつも散髪したて....みたいな、きれいな服を着ているものもいればボロをまとっているものもいるはずなのにみんなマッサラサラみたいな、それを精緻に検証する視点さえもが失われているようなあるいは逆にその...近視眼的に検証された断片的なディテールにばかりとらわれて、作られたリアリティーのみめだって本当の所はどうだったのかが一向に浮かび上がってこないドラマを見ているようなもどかしさ。加藤登紀子が言っているように知らないことは描けないのは当然だが体の中に眠っている親から子に受け継がれているDNAを呼び覚ませばそれは表現として可能なことなのかもしれない